MESSAGEメッセージ

なにごとも、
チャレンジなしでは
なし得ない

今も支えとなる両親の教えと
青春時代の原体験

父は、産婦人科の開業医でした。
多忙な父でしたが、当直の合間を縫って「気仙沼にフカヒレを食べに行こう」、「気分転換に富士山を眺めに行こう」と車を走らせ、家族で過ごす時間を精一杯大切にする人でした。
驚くほど博識で、歴史にも芸術にも文学にも造詣が深く、スコットランド人の夫とイギリスの小話で盛り上がったり、母に贈る宝石をマイルーペで鑑定したりすることもしばしば。

還暦目前にして「全日本アマチュアゴルフトーナメント」に参加を果たすという快挙を成し遂げました。
その「己を信じて頑張る」という強いマインドで、癌を克服した後、一度は治療のため泣く泣く諦めたゴルフのクラブチャンピオンシップに再度挑戦し、クラブチャンピオンとシニアチャンピオンの座を同時に獲得するほどの努力家でもありました。
急なお産で夜中に病院から呼び出しがあり、明け方近くに帰宅した後も、寝る時間を惜しんで読書やゴルフの練習をする姿がとても印象に残っています。

私が、好奇心に忠実にひたすら邁進することができるのは、そんな父の背中を見て育ったからだと思います。
「学ぶことに遅いということはない」
父の自分を信じて努力する姿は、私にそう教えてくれました。

一方母は、「手を離して目を離さない」、そんな距離感でいつも子供達を愛情深く見守ってくれていました。
小学校低学年の頃、兄と妹の3人で母の実家まで電車で訪れたときのこと。
母は物陰に隠れてずっとついてきて、無事におばあちゃんに会えたのを見届けてから、こっそり帰って行ったのです。
「子供が本当に困るまで手を出さない」それが母の教育方針。
母の存在があったからこそ、私は自由に羽ばたくことができたのだと思っています。

幼い頃「なるほど!ザ・ワールド」が大好きだった私は、世界中を飛び回り、誰も見たことのない景色を見るのが夢でした。
そういった感性の芽を、私の通った小学校でも育んでいただいていたのだと思います。中高生の頃には、アメリカ人の友人と文通で友情を育んだり、アメリカでのホームステイを経験しました。
ホームステイ先では、差別と格差の現実に直面したこともありました。

「もっと世界中の人々と関わりたい」

そんな思いを胸に、学生時代は英語力を生かしてESSに参加したり、バックパックを背負ってインドやヨルダン、トルコ、シリア等、数えきれないほどの国々を巡りました。
そこで小学校の教科書で見た時から憧れていた死海で泳ぐという夢が叶いました。
人種の壁による悔しさを味わい、偶然の出会いや思いがけない優しさに感動し、たくさんの豊かな経験を重ねることができたと思います。
それらの経験は、医師として様々な背景を持つ患者さんと関わり合う中で確実に生きています。

宇宙飛行士試験で学んだ
「協調」の大切さ

「世界中を飛び回って新しい景色が見たい」

私の夢の行き着く果てにあるものは、宇宙でした。小さい頃から父や兄の影響で星新一の本や「銀河鉄道999」を読んでは、宇宙に想いを馳せていました。

ささやかな夢がぐっと現実味を帯びるきっかけになったのは、慶應義塾大学病院で病理を担当していた向井万起男先生(宇宙飛行士・向井千秋氏の夫)と研究室で交わした何気ない会話でした。
「江澤くん、先日妻が宇宙から帰ってきてね、ボールペンを床に落としては重力を楽しんでいるんだよ」
それを聞いた時、「宇宙は決して遠い夢ではない、今の生活の延長線上にあるんだ」と実感したのです。

JAXAの試験に臨むためにも、まずは今までの研究を論文にまとめて世の中に貢献し、「医学博士」を取得するという一度掲げた目標への努力は加速しました。
そして、それを果たした年に、JAXAが10年ぶりに宇宙飛行士を募集するという知らせが飛び込んできたのです。
これは運命と言わんばかりのタイミングで、私は宇宙飛行士の夢に向かって一歩を踏み出しました。

約1000名の応募の中から最終選考に残ったのは10名。
そのうち女性はただ1人でした。

最終試験は、閉鎖環境の中で1週間の共同ミッションをこなすというもの。ここでは、高度な課題であればあるほど‘「競争」よりも「協調」が大切であることを痛感’しました。
専門分野もバックグラウンドも様々なプロが集い、1つの目的を達成するために力を合わせるのです。

各々が得意分野を最大限に生かし真剣に課題に取り組む中で、いつしか阿吽の呼吸が生まれ、ゴールに向けて物事がスムーズに流れていく。まさに「究極のチームワーク」でした。

1年に渡る壮大な挑戦だっただけに、あと一歩のところで夢をつかめなかった喪失感は大きなものでした。それでも、かけがえのない仲間とのまたとない経験は、私の人生の大きな糧となっています。

選考を終えた後は、小学校、中学校、高校、企業、ロータリークラブなど、津々浦々で数えきれないほどの講演を行いました。
選抜試験ファイナリストの親友たちと子供たちに向けて、「夢を持つこと」についての講演も行いました。講演後に見られる子供たちの輝く瞳、何かを取り戻した大人の目に、私も勇気づけられてきました。

講演のオファーは、できる限り誠実にお受けしてきました。この貴重な経験を語ることで、たくさんの人の背中を押せる存在であり続けたいと思っているからです。

医療は医学だけでは行えない。
医師として法学博士を志す
今までとこれから

診察の中でも多くの女性と向き合い、共に考え、たくさんの刺激や学びを得ました。
医学の博士研究が(卵巣)癌というテーマであったこともあり、患者さんの治療を行う中で、海外では普通に使われている薬でも日本で承認されていないために保険適用外となり、莫大な費用がかかってしまうケースを何度も目の当たりにしてきました。

同じ地球に生きている同じ人間なのに、法律が整備されていないために平等に治療が受けられず救われない命があるなんて...。そのジレンマと向き合うため、早稲田大学法学部に学士入学し、法律を基礎から学ぶことを決意しました。

医師と学生、二足のわらじを履いた生活は、「頭皮から脳みそが出そう」なほどの大変さでしたが、卒業論文が早稲田大学法学会懸賞論文賞を受賞したことで、同大学院博士後期課程の受験資格を得ることができました。
マルチプルタスクという点では、良い学びにもなりました。
その後さらに双子の出産を経て、念願だった法学博士課程に挑戦したのは2017年のことでした。

今、法律の研究に取り組む中で、私のこれまでの経験が1つの大きなテーマに集約されてきたことを感じています。

それは、現在取り組んでいる「医療と法律の架橋」から発展して、今を生きる女性たち、そして未来を担う子供たちが、「好奇心を持ち続け、探求とチャレンジを繰り返しながら選択できる過程」を応援したいと思っています。
そしてそれを、臨床と議論と教育で支えていくことが、これからの私のチャレンジです。

同時に、いつからでも何にでもチャレンジできるのだということを、次世代の子供たち、また夢やチャレンジを忘れかけた大人たちに、身をもって伝えていきたい、伝えていかなければならないと思っています。
私の経験を通じ得たものをメッセージとして伝えることが、誰かにとって一歩を踏み出す勇気を与え、世界を広げるきっかけになれば、こんな幸せなことはありません。

そして、今までもこれからも、宇宙への想いが変わることはないでしょう。いつか必ず、宇宙から地球を眺める夢を叶えたいと思います。

Sachiko Ezawa